連帯したくないあなたこそ連帯するべきだ

最近、いくつかの象徴的な場所に行った。一つは、障害を持った方同士が、お互いを尊重し合って過ごしている場所。一つは、商業主義におもねらないアトリエ。一つは、感染症にかかった方が根拠なく隔離された現実と歴史をつたえる資料館。また、平和集会と平和デモなど。
私たちが暮らす社会は、「標準」からちょっとでも飛び出ることが許されない。そんな話を最近聞くことが多い。歩き始めの子どもは自由な身体を持っている。それが幼児教育など集団生活が始まると、他者を他者目線で評価するようになるという。
封印された個性の中には一人一人の命の核があるのではないか。多くの子どもや大人が、自分そのものを封印して、何かに合わせて振る舞っている。そのような振る舞いは「集団行動」として、子ども時代に身につけるべきものとされている。
そのようにある意味順調に育った人たち。また、戦争や虐殺を見過ごしている人たち。彼らが重なって見える。「戦争反対」と声をあげることが逸脱なら、みんなが逸脱せず周りの真似をしたら、どうなってしまうのか。
全国的に公立学校の統廃合が進められている。1学年1クラス未満などの小規模校の解消が、統廃合の検討の理由とされている。そこには、「個性を尊重される環境で育つとそうではない社会に適応できない」「集団行動の内面化」という考えを当然のものとする認識があるように感じる。一方で、不登校児童・生徒は増え続けているのだ。自分らしい行動、自分らしい身体を否定され、抑圧し、周りに合わせて振る舞うことがどんなにつらいかを示しているように思う。
自分を尊重できる人が他者を尊重できる。他者を受け入れられる人が平和な世界を作っていくことができるのではないか。他者を支配し、自分も何かにがんじがらめになっている。そのような者たちが始めた戦争に、平和的な人々が巻き込まれるのは耐えられない。おもねらない人こそ、つるまない人こそ、連帯するべきなのだ。



