ふじそのあき
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6月議会一般質問(1)平和教育について

 6月議会では一般質問を通告し、子どもの教育に関することを中心に取り上げました。

 最初に、戦争の歴史や憲法を教えることの意義、また一方で、式典での国歌斉唱の矛盾について、市長と教育長に質問しました。

1問目(ふじその)

 初めに、平和を祈念し、どんな国の人とも友人になれる子ども・若者の育成について伺います。

 5月16日に文化会館で開催された「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」に、わたしも出席させていただきました。戦争で犠牲になった方をご遺族とともに追悼し、二度と戦争が起きないことを誓い合う、大切な機会だと思いました。

 集いでは、湘南学院高等学校、三浦学苑高等学校、緑ヶ丘女子高等学校、横須賀総合高等学校の生徒の皆さんによる、戦争体験手記の朗読と平和へのメッセージの発表があり、また、田戸小学校の皆さんが音楽家とともに組曲「横須賀」の一章を元気に歌っておられ、とても感動しました。

 この「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」を毎年開催し、子どもや若い世代に参加してもらう意義について、市長のお考えを伺います。

 私たちの国、日本の前身である大日本帝国は、中国への侵略戦争の末に、多くの日本国民や他国の人々の命を犠牲にして、敗戦しました。筆舌に尽くしがたいほどの惨禍を二度と繰り返してはいけないと、多くの国民の願いが込められたのが日本国憲法です。そこには戦争放棄、主権在民、基本的人権の尊重が定められ、戦争のない、誰もが自分らしく尊厳をもって生きられる社会を世界中にひろげていこうとしています。

 しかし大国による軍事的覇権争いは続いており、日本が平和憲法を守り、平和外交を貫くのは簡単なことではありません。それでも、平和憲法を活かした平和外交が大前提であると私は思っていますし、多くの方が同様の考えを持っておられることは、世論調査からもわかります。

 総理大臣や閣僚をはじめとした公務員は、憲法を尊重し擁護する義務を負うと、憲法第99条で定められています。その高市総理大臣が「改憲が急がれる」という発言をしています。国会では国家情報会議設置法など、憲法違反の法律が成立し、政権・与党が主導する改憲発議が、平和や人権を脅かすものにならないかとの懸念が広がっています。

 憲法に基づく人権尊重と、平和外交ができるリーダーをえらび、子どもたちに平和な未来を手渡すために、私たち大人は、過去の戦争の実相を学ばなければなりません。そして、子どもや若い世代にとっても、過去の戦争がどのように始まり、どうすれば命を守ることができたのか、学習することが必要だと思います。

 「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」における、市内高校生の皆さんによる、戦争体験手記の朗読は、わたしにとって、おおきな学びとなりました。横須賀で学ぶ高校生の皆さんが、戦争の実相を学習し、伝承の役割を果たされていることに、希望を持ちました。

 そこで教育長に伺います。平和を愛する子どもや若者を育成していくこと、また、子どものうちから戦争の実相と、日本国憲法を学ぶ意義について、教育長はどうお考えになりますか。

 戦後は民主主義の視点で戦争の研究が進み、戦争認識が蓄積されてきました。「慰安婦」問題における日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話や、植民地支配と侵略への「痛切な反省」を表明した戦後50年の村山富市首相談話などで日本の戦争責任についての反省が述べられました。その一方で近年では、「侵略ではなかった」とか、「戦争にも良い面があった」などの歴史修正や排外主義も見られ、2015年の当時の安倍晋三首相による「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という「戦後70年談話」は現在でも広く影響を及ぼしています。また、日本では空襲や被爆などの戦争体験が中心で、朝鮮に対する植民地支配や中国への侵略戦争による加害については情報が少なく、誤った歴史認識が入り込みやすい面があります。

 「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」において市長は「平和は決して当たり前のものではなく、私たち一人ひとりの不断の努力で守り続けていかなければならない、本当に尊きものです。」と述べられ、「恒久平和の確立のため、皆様と力を合わせ、引き続き、全身全霊を尽くしていく」と誓いました。私もその通りだと思います。その一方で矛盾に感じたのは国歌斉唱のプログラムです。

 戦前、戦中に国民は「君が代」をたてまつることを求められ、そのことが、戦争反対という声をあげにくい空気につながりました。多くの国民が天皇のために命をささげて犠牲になった象徴が日の丸と君が代だったと思います。

 アジア・太平洋戦争を振り返った時の教訓はなんでしょうか。私は、「間違っていることには間違っていると言うことの大切さ」だと思います。いうのは簡単ですが、とても勇気のいることだと思います。

 だからこそ、権力を持つ機関は、多様な意見が表明されることを尊重し、一人ひとりの声に丁寧に耳を傾けることが必要だと思いますが、市長はいかがお考えでしょうか。

 学校での入学式や卒業式において国歌斉唱が次第に組み込まれていますが、子ども自身の気持ちを押し殺させ、強いものに従わせているように見えます。

 そうした状況を生まないためにも、入学式や卒業式で、国歌斉唱を強制することをやめるべきだと思いますが、教育長のお考えを伺います。

市長からの答弁

市長から、「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」についてと、「多様な意見を尊重すること」についての答弁がありました。

(市長) 戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集いは戦争により尊い命を犠牲にされた方々に哀悼の意を表するとともに、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて胸に刻む機会として毎年開催しています。

 戦後 81年を迎え、戦争の記憶の風化が危惧される中で、若い世代も参加することで、こうした哀悼と祈念の場を継続して設けることには大きな意味があると考えています。本式には例年市内の高校生にご参加をいただき、スタッフとしてご協力をいただいています。また、田戸小学校の皆さんには、戦後 80年の節目にあたる昨年度にご参加をいただいたことを契期に、今年度もご参加いただきました。戦争体験の朗読と平和へのメッセージの発表は、今年度初めての取り組みでしたが、参加された方々に深い感動を与えるとともに、高校生が平和について考え、自らの言葉で表現する貴重な機会となりました。

 若い世代が主体的に関わることで、平和への思いが次の世代へ受け継がれていくとともに、世代を超えた共有の場が生まれ、地域全体での平和の尊さを確かめ合う契機になったものではないかと感じています。本式典を毎年開催し、子どもや若い世代に参加してもらうことは、戦争の記憶と教訓を風化させることなく継承し、戦争の悲惨さと平和の尊さを市民一人一人が考える機会を確保する上で極めて重要であると考えています。

 次に多様な意見の尊重についてです。

 「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」に限らず、市が主催する多くの式典では、公的な場として儀礼的な観点からも国旗の掲揚に加え、国歌の斉唱もしくは演奏を実施しています。我が国は民主主義に基づく放置国家であることから、当然のこととして多様な意見の表明は尊重されるものであり、その行為は真摯に耳を傾けるものであるというふうに考えています。

教育長からの答弁

 教育長から「平和を愛する子どもや若者の育成と戦争や日本国憲法を学ぶ意義」について、また、「入学式や卒業式での国歌斉唱の強制」について答弁がありました。

(教育長) 私から、まず、平和を愛する子どもや若者の育成、日本国憲法を学ぶ意義についてお答えさせていただきます。

 学習指導要領においては、平和で民主的な国家及び社会の形成者を育成することが明確に示されており、平和を愛する子どもや若者を育成することは、現代社会において重要なことであると考えております。そのため、小学校から高等学校の地理歴史、公民の授業において、子どもたちが世界平和の実現について、多面的多角的に考え、理解できるよう指導が行われています。第一世界大戦、その他過去の戦争に対する反省などから、戦争の参加について学ぶことは、子どもたちが平和の尊さを実感し、将来にわたって平和を希求する態度を育む上で不可欠です。

 また、日本国憲法は立憲主義や法の支配の理念に基づいて制定されており、これらの基本原理を理解することは、民主的な社会の一員としての自覚を深める上で極めて重要です。学校教育を通じて、憲法の意義や平和主義の考え方を学ぶことは、子どもたちが法に基づく社会の形成者として、責任ある行動を取る基盤となるものと考えています。

 次に入学式や卒業式での国家斉唱についてです。平成 11年 8月 13日に「国及び国家に関する法律」が制定され、これにより日章旗及び君が代が国旗国歌と制定されました。また、学習指導要領においても、国歌(君が代)の斉唱は、児童生徒にその意義を理解させ、我が国の伝統と文化を尊重する態度を育成するという観点から、適切に行うことが示されています。したがって、入学式及び卒業式において、国歌を清唱することは適切な教育活動であると考えています。

2問目(一問一答)

 市長に対しての2問目は行いませんでした。

(ふじその) 「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」での、高校生による戦争体験の朗読、また、平和に向けてのメッセージを私もとても感動しました。その後の声楽家の方の「木を植える」という歌唱も含めて、本当に大感激をしました。戦争を二度と起こさないために、私に何ができるかなと考え、今回の質問に結びつけました。

 特に、市内で戦争を体験され被災された方の手記の朗読は、貴重な体験でした。生徒さんにとっても大きな学びになったと思います。引き続き続けていただければと思います。

 国歌斉唱は違和感を持ちました。ただその場は大人のための集まりであって、強制されているとも思いませんでしたので、自分の違和感ということにとどまっています。

(ふじその) 教育長に伺います。私も改めて教科書を拝見しました。教科書を読むだけで勉強になりました。しっかりと子どもたちは勉強し学んでいるとわかりました。その上で、この「戦争犠牲者を慰め平和を祈念する集い」での児童・生徒の参加のような実践的な学びと組み合わせることで、戦争を自分のこととして考えられる深い学びになると思います。今回、市内の高校生や小学生が参加されたのですけれども、他の学校においては、学校独自の実践的な平和教育はあるのでしょうか。お伺いします。

(教育長) 本式典は市のイベントとして企画をされ、近近の学校が参加してくれという形のイベントであって、これと同様のものが行われているということではなく、各学校において個別に進められているものと理解をしているだけです。

(ふじその) 先生がたは地域の平和学習などを勉強されていると思いますので、先生がたの専門的な知見を生かしていただければと思います。

3月の代表質問で、私は旧軍港市転換法について市長を中心にお伺いさせていただきました。戦後の横須賀の大きな転換点になった歴史的なことだと思います。またこの旧軍港市転換法によって、軍用地から学校になった学校もあると思うのですけれども、軍転法を学校で教えているということはあるのでしょうか。

(教育長) 軍転法について教えるということのご質問ですか。「横須賀の歴史」という福読本の中で、その経過というものは記載がされていたと思いますので、その関連の中では教えると思っています。また、それぞれの学校の沿革の中で、自分たちの学校がどうなっているかというのは、当然開校記念日という学校の歴史の中で学んでいると理解をしています。

(ふじその) 学校でも触れているということでありがとうございます。次に、国歌斉唱についてお伺いしたいと思います。私たち日本共産党として、毎年教育委員会に対しては、入学式や卒業式での国家斉唱をやめるように要望しています。今回、「戦争犠牲者の集い」もあり、改めて、本会議で質問させていただきたいと思いました。この質問は全体として、不登校や学校統廃合にも通じる、一人一人を尊重する学校のあり方という点でも、通じるものがあるのではないかなと思っています。平成 11年に国旗国歌法が制定されました。当時の小渕恵三総理大臣は、国旗国歌について「義務付けを行うものではない」という答弁をしています。一方で、教育現場では、国歌を指導することが求められているということで、これは矛盾が生じているのではないかと思っているのですが、この矛盾について教育長のご見解を伺いたいと思います。

(教育長)これは私の再質問になってしまうといけないと思うのですが、ご質問の趣旨について私が理解していることから先にお話しさせていただいてよろしいですか。というのは、皆様ご承知のように、今週からサッカーのワールドカップが開催されます。それぞれの国の代表者として、自らの国旗と国歌の斉唱が行われてくると思っています。これはそれぞれの国民性や何かの自らの一体感とアイデンティティを述べるために、国旗と国歌があると理解をしているところです。今議員は国歌は斉唱すべきではないという、そういう主張でのご質問になっているのですが、多分根本的に国旗と国歌はあっていいとお考えだろうと思っているんです。ただ、問題は国旗国歌法における第二条の一項にある「国歌は君が代とする」ということに対して、ご反対になっていると思ったわけです。だとすると、この法案自身は、国民の代表者で決めた国会において議決されたことでした。多様な意見があるとするならば、この法案の第二条第一項にある「国歌は君が代」でない何かというものを多くの国民の方と決定した時に、歌が変わるわけですから。その時には、国歌を歌いになれると思っているのです。ただ、今はこの法案が通り、多くの国民はこれまでの間ずっと国歌は君が代だという認証を持っています。私たちは国民のアイデンティティとして、国旗と国歌に対しては敬意を払うべきだと思う。そのアイデンティティのもとにいる中で歌っている曲がたまたま君が代だと理解をしていますので、ご質問いただくとすれば、君が代は国歌であるべきではないということのご主張をいただいていることであれば、私は現在の法律がこうなっている以上、その国歌を清唱するということに何も問題はないと一問目でお答えさせていただいている。それが私の考えです。

(ふじその) もう一度、私から教育長に対して質問をしたいと思います。1999年に国旗国歌法が制定された時に、当時の小渕恵三総理大臣は「義務付けを行うものではない」と答弁しています。一方で国歌を指導することは、教育公務員の責務とされています。これは国自体が矛盾を生んでいるということになっていると思うのですけれども、この 2つの基準、そして教育長のお考えを伺いたいと思っています。

(教育長) 今比較をされているのは、総理大臣の談話と、それから関係省令における告示という形のものを比較されていると思うのですね。私どもは指導要力という文部科学省から例示をされているものの運用に基づいて、学校運営を行っていますので。本来ならば、国が整合性を取った上で、この談話が正式な法律に匹敵するものであるならば、告示令示を文部科学省が訂正されるべきものです。現在、それが生きているということであれば、私たちは文部科学省が談話についてどう判断するかという中では、優先されていると思っています。

(ふじその)卒業式や入学式で対象になっているこどもには憲法上の自由があると思うのです。憲法に基づいた自由があります。憲法 19条の思想良心の自由あると思うのです。一方で国歌の意義を理解させ、これらを尊重する態度を学習指導要領で決めていると思うのですけれども、こういった指導は子ども自身が権利として持っている憲法の精神と相容れないと思うのですけれども、教育長はどうお考えになりますか。

(教育長) 相入れないというところをもう少し具体的に教えていただけますか。先ほど来、この議論で噛み合っていないのは、私は国旗国歌というものは尊重すべきという国民みんなが持つものは、育成していくべきだという論調でお話をさせていただいています。一方において、国歌である君が代がいけないから、国歌を歌わせたくないというお考えだとすると、その限定している部分になっているのかと思います。それとももう一つは日本国では国歌がいらないからだから子どもたちに教えるべきではないという質問なのかをはっきり教えていただきたいと思っているところです。

(ふじその) 全くそういう質問ではありません。君が代だからダメとか、国歌自体を否定しているとか、そういう質問ではありません。

(教育長) ではどういうことを求めているのかわからないのです。

(ふじその) 卒業式や入学式において、子どもに国家斉唱を命じているわけですね。プログラムで。それを命じることは、子どもが持っている権利を侵害していませんかと聞いています。

(教育長) 侵害しているとは思っていません。

(ふじその) 式典において子どもたちは国歌斉唱をしています。していない人もいると思う。子どもたちは良い思い出を作りたいとか、主役である卒業生や新入生を尊重しなくてはいけないと考えて、様々な矛盾に目をつむって、式典の運営に協力していると思うのです。そのような協調性を育むことも、教育の一つではあるということは、私もわかっています。一方で、子どもは授業で憲法を学んでいるのですね。憲法の思想及び良心の自由をはじめ、国民主権や、戦争の放棄を学んでいる。その子どもたちが憲法を学ぶときに、こういう矛盾に目をつむっている状態では、学校生活全体として、本当に憲法を教えていることにならないのではないかと思うのですけれども、ご見解を伺います。

(教育長) 思想信条の自由というのは当然あって、憲法として尊重されていると思っているのです。様々なことに直面している中で、それを歌うか歌わないかはご本人、その児童生徒がこれから判断していくことだと思っているわけです。その意味で内閣総理大臣の談話が義務付けたものではないとつながっていると理解をしているのです。ですから、小さな時にあるいはまだ憲法や何か様々なことがわからなかったとしても、その方が自分の思想なりを固めていく中で、合わないとするのであれば、自らの学んできた憲法に基づいて思想信条のもとに歌わないことがあっても、それはいいことだと思っています。ただ、学校行事その他という教育過程においては、告示の通りに行うということは一つのしきたりといった進行形態として捉えているという形だと思います。進め方。という外枠を作っているということだと考えています。

(ふじその) 子どもたちが戦争のことや憲法の成立について学ぶ中で、戦争の背景として、軍国主義政策や、戦争に反対する思想の弾圧があったということは、学んでいると思いますが、いかがでしょうか。

(教育長) 歴史的事実としての進行過程の中で、年表としては確認していくだろうと思っています。ただ、それに対して、どのように感じるかということを初めから教員が仕向けるべきではないので、事実関係を的確に述べていき、それを本人たちがどのように解釈していくかということだと思っています。これは小学校の低学年の子どもに求めることはできないと思っていますから、発達の中で自らの経験と様々な文献文章を読むことによって、自分の中で消化していく勉強の過程で出てくるものかなというふうに思っています。

(ふじその) 歴史の授業で近代史が出てくるのは、小学校 5年生と思うのですけれども、今の授業、特に社会科の授業は、合っている、間違っているではなく、世界の平和にどう貢献していくかというところまで考えると思うのです。その時に、二度と戦争を起こさないために、子どもたち自身が、自分が何をしたらいいのかを、授業を通して、子どもたちは考えると思うのです。私は、間違っていることには間違っていると言うこと、あと、他の人とは違うことを言うことかなと思っている。子どもは歴史を学んで、どのように結論付けるのか、教育長はどのように考えられますか。

(教育長) よくわからなかったのですけども、あのご本人がどのように思うかっていうことを作っていくことは非常に大事なことだからだからこそ探求という言葉があると思っているのです。それに対して間違っているからという誰かの意見だけが、あるいは教師の考え方だけが、そこに行ってしまったら、それは子どもを洗脳することになってしまうと思っています。だからこそ歴史であれば、歴史であるほど、どのような事実かを自らが理解していくという、その場面を提供していかなきゃいけない。その上でご本人がどういうふうに考えて、また周りの人がどう考えたことということをお互いに話し合うことによって、より理解を深めていくというのが、これが学習の基本だというふうに考えています。