原水爆禁止2023年世界大会に参加しました
8月7日は長崎で原水爆禁止世界大会開会総会が行われ、全国・世界で核兵器廃絶に取り組んでいる方々から報告やメッセージがありました。各地での着実な進展により、核兵器は廃絶できるという道筋が見えてきました。核兵器の廃絶は「究極」の理想なんかではありません。被爆者の方々は核抑止は原爆そのものだと言っています。広島でも長崎でも「核兵器を廃絶しよう。廃絶できる。」という希望に満ちていました。一方で、軍拡を進める近隣国に脅威を感じ、「軍拡には軍拡」がしかたないとする世論もあります。戦争も核兵器もない未来をつくるのが今を生きる私たちの責任だということが、広島と長崎ではあたりまえに思えました。そのあたりまえの希望をお伝えしたいです。
被爆者・田中重光さんから開会のあいさつがありました。被曝の経験や戦後も続く被害を語られました。
オーストリア欧州統合外務省軍縮軍備管理不拡散局長・アレクサンダー・クメント大使と原水爆禁止日本協議会・土田弥生事務局次長からはNPT再検討会議第一回準備委員会の報告がありました。ロシアの戦争により核兵器では命を守れないことがわかったにもかかわらず、議論の進展は見られず失望したと話されました。
核保有国での核廃絶の取り組み
アメリカ平和・軍縮・共通安全保障キャンペーン/ジョセフ・ガーソン議長からは、「大国が対立し、ルールから脱退している。私たちの連帯が大切。すべての運動はつながっている。」との報告がありました。
イギリス核軍縮キャンペーン/ケイト・ハドソン事務局長からは、「イギリス政府の責任は重い。「防衛用核」「核兵器=通常兵器」とみなし、核弾頭を増やしており、さらに増やそうとしている。「抗議し、生き残ろう」をスローガンにし、たたかっている。」との報告がありました。
非軍事への取り組み
「フィンランドノーNATOグローバル女性の会」ウーラ・クロッツァーさんは「NATOは世界最大の軍事同盟で、人類を絶滅させかねない。青い地球を守ってくれた私たちの先輩たちの努力に報いるためにも、世界の子どもたちのためにも、NATO解体を目指す。」と話しました。
戦場のキーウで平和活動をしている「ウクライナ平和主義運動」のユーリイ・シェリアゼンコ事務局長は「勝利という言葉は戦争、ひいては核兵器使用を引き起こす。」と話しました。
韓国SPARK/オ・ビジョンさんは「韓日でアメリカ軍事同盟から抜けることが大切。」だと話しました。
憲法学者の小林節さんは「被爆者の実態を世界に拡散させ、日本政府に核兵器禁止条約を批准させることは日本国民の責任。我々は「倫理性」を持った人間なんだから、核兵器廃絶は当然目指すべき思想。」だと話しました。
分科会で被爆者の体験を伺いました
8日の分科会では被爆者や被爆者支援に携わっている方から原爆被害の実相を伺いました。
日本被団協中央相談所/原玲子相談員
広島・長崎での原爆投下から日本被団協結成までの12年間、被爆者は見捨てられていました。アメリカGHQによる言論統制で、原爆に関する記事は禁止されていました。
1956年8月10日に日本原水爆被害者団体協議会が結成されます。
結成宣言(一部抜粋)「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります。私たちは今日ここに声を合わせて高らかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまた再びくりかえしてはなりません。」
1957年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が制定され被爆者手帳の交付が始まりますが、被爆者は偏見と差別に苦しみ続けます。結婚差別や、タクシーの乗車を断られるなどです。
1973年に被爆者は「被爆者援護法」制定を要求し、今でも求め続けています。
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が1994年に成立し1995年に施行されました。しかし被団協が求める国家補償としての援護法ではありませんでした。
「黒い雨」にあたって被曝した人、差別を恐れて親が申請しなかった人、病気を我慢して働いてきた人などには保証がありません。
被団協が制定を求めている「被爆者援護法」は、国家補償であると同時に、核戦争を起こさないための法律です。
原相談員は病院で相談員をしていた時に被爆者の苦しみに触れ、被団協での相談をずっと続けていらっしゃいます。ケアマネージャーとしても被爆者の支援をする中で、苦しい戦後の生活の中で、国保料を払えなかったたくさんの被爆者はどうしているかと心配しているそうです。
長崎の被爆体験者/山本誠一さん
山本さんは10歳の時に爆心地から8.5キロの茂木で被爆しました。B29の爆音が聞こえたので見上げたら落下傘が浮かんでいました。その瞬間地面が大きく揺れて一面閃光に覆われ吹き飛ばされました。気が付いた時は「シーンとした音のない世界」だったそうです。一緒に遊んでいた友達の姿はなく、その後2か月後に亡くなりました。家の中は障子も何もない状態でした。呆然としていた時に全身やけどの兵隊が歩いていくのを見ました。夕方になって負傷した人がトラックで運ばれてきました。亡くなった方は立岩海岸で荼毘に付されました。
後世の私たちは一発の原子爆弾により甚大な被害が出たことを知っているのですが、当時は空襲はたくさんの戦闘機によるもので、戦闘機一機により攻撃されるとは考えもよりませんでした。戦闘機からパラシュートが降りてきて、珍しいと思って見上げたことでより深く火傷を負ってしまったことが広島での証言にもありました。
原爆投下後アメリカは嘘の発表をしました。1945年9月6日ファーレル准将は、「広島と長崎では死ぬべきものは死亡し、9月上旬現在原爆放射能のために苦しんでいるものは皆無」「原爆投下後1分以降に発生する残留放射線の影響はない」と発表しました。嘘を広めたことで被爆者の援護が疎かにされました。
「被曝体験者」とは
国が線引きした「被爆地」でなくても、原爆の熱線や黒い雨により被ばくした方がいます。本来なら被爆者として医療費などの免除があるべきなのですが、国は被爆地の範囲を狭いままにしています。長崎では「被爆体験者」に「被爆体験者精神医療受給者証」を交付し、受給者証には「被爆体験の不安が原因で」病気になったと書いてあります。被爆体験者は精神疾患に伴う合併症のみ自己負担はありませんが、放射能の影響が考えられるがんなどは対象外となる、理不尽な制度です。
被団協/佐久間邦彦理事長
佐久間さんは0歳9か月のときに己斐町で被爆しました。母親が彼を背負って逃げる途中で黒い雨に打たれましたがそのことと被曝との関係に思い当たったのは大人になってからだったそうです。差別との葛藤をお話しくださいました。
韓国人被爆者/シム・ジンテさん
両親が広島に強制徴用され、母親は広島の軍需工場の勤めに従事していました。両親ともに被爆し、戦後は韓国で祖父母と暮らしました。
日本の戦争犯罪は裁かれています。その日本に強制徴用された韓国人がなぜ被爆しなければならなかったのか。米国と韓国は被爆者に補償するべき。被害者はいるのに加害者がいないのはあり得ない。米国と日本は原爆被害の謝罪をしなければならない。そのことが核兵器廃絶につながるとお話しされました。
韓国人被爆者/イ・ギヨルさん
イさんは1945年3月25日に広島で生まれました。被ばくし現在も呼吸困難の症状があります。徴用され被爆で亡くなった方々を悼み、アメリカの責任と謝罪を求めています。
韓国人被爆者を中心とする原爆国際民衆法廷実行委員会は、1945年に広島と長崎に原爆を投下した米国の責任を問う国際民衆法廷を2026年にニューヨークで開く予定です。その準備として「韓国原爆被害者を原告として米国の核兵器投下の責任を問う国際民衆法廷の第1回国際討論会」が6月に韓国で開かれました。
マーシャル諸島被曝者/アバス・カインさん
アバスさんはロンゲラップ諸島団体で、ブラボー実験の被曝者です。乳がんと甲状せんがんを発症しています。
1954年3月1日にアメリカはマーシャル諸島ビキニ環礁でブラボー実験を行い、マーシャル諸島の人々や第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船の乗組員など2万人以上が被ばくしました。
マーシャル諸島は米国に対して補償を求めていますが米国は応じていません。アバスさんは「島は自分たちのアイデンティティ。」だとお話しされました。
被曝78周年長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典は台風の予報のため規模を縮小し出島メッセ長崎で開催されました。
長崎平和宣言で長崎市長は「被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。」と世界に発信しました。長崎平和宣言全文 https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3070000/307100/p036984.html
原水爆禁止2023年世界大会も1日短縮し8日に閉会しました。
長崎で被爆した被団協の田中煕巳代表委員は「核兵器はある限りいつか使用される。禁止条約は悲願だった。世界に広げて核兵器をなくしたい」と述べられました。
アメリカ・ニューヨーク州ピースアクション/マーガレット・エンゲルさんは「核兵器の製造と貿易に費やす資金は私たちの安全を脅かすだけ。」と話しました。
ドイツ平和を目指す科学者の会/ライナー・ブラウンさんは「終末時計は0時の90秒前。核兵器をこのままにしておいたら、いつかは私たちは人類とその他生物を絶滅させる。」と話しました。
終末時計=https://hiroshimaforpeace.com/doomsday-clock-2023/
フィンランド湾南岸平和評議会のオレグ・ボドロフ議長は「各国政府は敵国に悪魔的イメージを植え付けている。労働者・漁業者・芸術家が日本とロシアで敵になれるでしょうか。」と訴えました。
九州からの報告
九州からの報告では軍拡が進んでいることがわかり驚きました。軍拡は「防衛」どころか日本を要塞化し戦場にしてしまいます。
佐賀:佐賀空港のオスプレイ配備
熊本:地下化の対象になっている陸自健軍駐屯地の隣には熊本市民病院がある。大丈夫か。
大分:敷戸弾薬庫は住宅地のすぐ近く
宮崎:新田原基地の米軍基地化・出撃基地化。フランス空軍との共同演習が行われている。
福岡:築城基地の日米共同訓練常態化
鹿児島:鹿屋基地に無人機配備、老朽化した川内原発の稼働延長問題
長崎:佐世保原水協「基地がある街を当然と思う異常。戦争によって発展した町という意識が強い。」
若い世代の平和への願い
東京・愛知・神奈川・沖縄の高校生ゼミナールの皆さんが話されました。
「核兵器禁止高校生署名を1万ぴつ達成した。」
「人間はたくさんのコミュニケーション方法があるのだから、外交・対話できるはず。」
「沖縄戦の教訓は軍人は住人を守らないということ。」
元気な姿に励まされます。同時に平和な世界を手渡したいと、焦る思いです。
国民平和大行進 通し行進者がいらっしゃいました。
5月に東京・北海道・富山を出発し各地を歩きながら核兵器廃絶の声を広げた通し行進者が舞台に上がりました。5月13日に一緒に横須賀を歩いた村上厚子さんもいらっしゃいました!
たくさんの平和の思いが集結した世界大会でした。核兵器廃絶は困難ですが実現できます。そのことを伝えていきたいです。私にできることをやっていきます。